短編映画プロデューサーとしての自分は
どこかの組織に属していた人間でもなく独学で作品製作を学んできた人間ですが、
本業が撮影監督である人間だからこそ、
『日本の”短編映画”という文化への理解の浅さ、狭さ、冷たさ』という問題は、より深刻に感じている身分です。
撮影現場は、自分は極論バンドだと思っています。
自分は 撮影監督=現場の屋台骨として信頼をおくメンバーそれぞれとセッションして奏でた音楽(作品・商材)が誰かのためになる というモチベーションでCM・映画・web広告などでカメラを普段握っているが故、
そこで撮影した作品、言い換えればここで言う奏でた音楽は
なぜ、
『短編だから』『インディーズだから』『お金がかけられないから』
という理由だけで映画館での上映が叶わないのでしょうか。
“音楽”という文化との最大の違いはここにあると思い、現場レベルでいつもフラストレーションはなんだか感じてきておりました。
もちろん「自主映画」という分類される作品のレベルの低さ ということも当然露呈されていると思います。
『フォーカスが合っていない』
『音が聞こえづらい』
『お芝居が見ていられない』
こういった作品も一色担に「自主映画」というくくりにされていますが、
そういった一定の技術に達していない作品はそういう作品として置いておき、
人を多く感動させられる力、動員力、集客力、経済効果力などを見出せる目は、人間みんな絶対に持って生まれてきているはずです。
「Theater Aimyou」様のお話を耳にした際、すごく良いなと思ったのが
劇場側が”一人一人の想いが「特別な場所と」「作品になるということ」をカタチにしていきたい”というモチベーションを掲げられていると言うことです。
作品に携わる人たちやその近くの方々のみにとどまらず、
作品を上映する側の立場の方々がその作品への思いを受け止め、作品からつながる縁にわくわくする。そんな温かい劇場運営、聞いたことない!
記事を読み 自分のプロデュース作も上映していただきたい! と真っ先に思わせていただきましたし、作品の関係者各位・獲得したファンの方々を呼びやすい劇場というのは、クリエイターの羨望を煽るものです。
「作品が上映できるかできないか」という判断から逆算して成り立っているような現映画社会の構造に一石を投じる、間違いなく大阪アメリカ村のホットスポットになりうる劇場なのではないかと、
劇場の立ち上げ・運営を心より応援しております。
西岡空良 様

西岡空良 (撮影監督・映画プロデューサー)